更木活性化協議会が
見つめる未来。
2021年8月15日に誕生した「更木活性化協議会」。その取り組みがスタートしておよそ半年が過ぎました(2022年2月現在)。そこで同協議会をリードする平野直志会長と福盛田洋幸運営責任者が登場。コロナ禍でのこれまでの取り組みを振り返りながら、今後の展望についてざっくらばらんに語ってもらいました。
・まずは「更木活性化協議会」が生まれた背景は?
平野:更木の一番の課題は人口減少で、過去9年間で20%も人口が減っています。更木には住みよい地域づくりに取り組む「更木町振興協議会」というものがありまして、私もそこで地域の人口を増やすための活動をずっと行っていますが、それでも人口減少はとめられていません。その活動で痛感しているのが、やっぱり「魅力づくり」ですね。新しいヒトが来て「更木に住みたい」と思ってもらうためには、更木ならではの魅力を見つけて、それを発信していかないといけないと思うんです。幸いにも更木は古くから「養蚕」に取り組んできたという歴史があって、それを踏まえて福盛田君が代表を務める「更木ふるさと興社」では更木の養蚕文化を継承していこうとさまざまな活動を行っています。これを更木の「魅力づくり」に生かして地域の活性化につなげ、少しでも人口を増やしていきたいという想いがありました。
福盛田:「更木ふるさと興社」でも養蚕をもっと発展させて、地域を盛りあげていきたいと考えていました。そうしたときに農林水産省が進める農山漁村振興交付金事業※というものがあると知って、思い切って申し込んでみたら見事に採択されまして、2021年8月に「更木活性化協議会」を立ち上げて活動することになりました。
※農山漁村振興交付金事業……地域の創意工夫による活動の計画づくりから農業者等を含む地域住民の就業の場の確保、農山漁村における所得の向上や雇用の増大に結び付ける取り組みまでを総合的に支援し、農山漁村の活性化と自立及び維持発展を推進する農林水産省の取り組み。交付金の交付を受ける事業者は公募により選定。
平野:「更木活性化協議会」と「更木町振興協議会」とは空き家対策や夏まつりの開催など重なる取り組みもあり、それが連携を密にすることで相乗効果を生むのではという想いもあります。
・活動がスタートして半年が過ぎました。
福盛田:今回の事業は地域外のヒトに更木の魅力を知ってもらい、交流をひろめていくことがテーマでもあります。しかし、昨年の8月15日に「更木活性化協議会」を立ち上げましたが、当初はコロナの影響で予定していた取り組みがなかなか実施できなくて苦労しました。それでもコロナが落ち着いてきた10月に入ってからは、養蚕体験イベントや地域の未来を考えるワークショップなど、さまざまな取り組みが実施できるようになり、気づけばアッという間の半年でした。
・養蚕体験イベントといえば、昨年10/30・31に開催されたイベントが盛況でした。今回の「更木活性化協議会」の取り組みでは、金融庁や金融機関をはじめ、大学や一般企業など、地域外のさまざまな分野の方がかかわっているのも大きな特徴ですが、同イベントではそうしたみなさんが顔を揃えましたね。
平野:養蚕の体験をしていただくだけでなく、みなさんとグループに分かれて更木が抱えるさまざまな課題について話し合う場もありましたので、いろいろな分野の方のご意見や感想などがうかがえて私たちも非常に勉強になりました。養蚕に関しても、更木は古くから養蚕に取り組んできたという歴史はあっても、それを地域の魅力に変えていくという部分が難しいわけです。しかし地元のヒトは気づかないけれども初めて来た方が気づく部分というものがあって、別の角度から更木を見ていただいてご意見やアドバイスをいただくことができたので、本当に良い機会だったと思います。
福盛田:私もまったく同意見ですね。いろいろな方と出会えましたし、楽しいご意見を聞くことができて良かったです。
・その後もSNSワークショップ、更木のこれからを考えるワークショップ、繭を使った特産品の開発、シルクのまちとして知られる長野県岡谷市の視察など、さまざまな取り組みがありました。印象に残っているものは?
平野:私たちの世代はSNSはもちろんスマートフォンについても詳しくないので、みなさんにそのやり方を教えてもらえたSNSのワークショップは勉強になりました。私も仕事でメールは使いますが、やりとりする相手は決まっています。しかしSNSというのは不特定多数とつながるということで、地域の情報を外に発信していくことの大切さを考えると、SNSは大いに活用した方がいいと改めて気づかされました。また、岡谷市の視察もとても刺激を受けました。岡谷市は世界的なシルクのまちとして栄えた歴史ある街ですが、地域の方も上手に巻き込んで養蚕を通して街の魅力をひろげるさまざまな取り組みをされていました。ですから更木も今後は養蚕はもちろん、その繭を使った特産品の開発や販売なども含め、更木の地区住民を巻き込んでいく仕組みも考えて取り組んでいきたいと思っています。
・地域の方を巻き込む取り組みとは?
福盛田:「更木町振興協議会」と「更木地区交流センター」が更木の地区住民に向けて月イチで発行している「センターだより」という広報誌に、「更木活性化協議会」の活動を紹介するコーナーをつくっていただきました。まずは「更木活性化協議会」というものがどんな活動を行っているのか、それを地域のみなさんに知ってもらうことが大切だということではじめました。それから養蚕についても、今までは首都圏の方との交流を意識して地域外の方に養蚕の魅力を知っていただくイベントを行っていましたが、それだけでなく今後は地域の方にも養蚕の魅力を知ってもらい、継続的に養蚕にかかわっていきたいと思ってもらえるようなイベントも考えていて、それについては3月頃に開催できたらと思って現在進めています。
・「更木活性化協議会」では地域活性化に向けて、養蚕以外にも空き家対策や夏まつりの開催などがあります。
平野:空き家対策については、まず更木特有の事情があります。更木は農業振興地域(市町村が将来的に農業上の利用を確保すべき土地として指定した区域)が多く、そうした土地は農地以外への転用が禁止されています。ですから土地が空いているからといって、新しく家を建てたりすることはできないんですよ。それに加えて、更木は史跡が多いという特徴があります。この辺りは縄文の初期から晩期にかけてヒトが住んでいたといわれる土地で、ひとつのエリアで縄文の初期から晩期までの史跡が見られるというのは非常に珍しいそうです。そういう土地柄ですから、例え運よく新しい住宅が建てられる土地が見つかったとしても、その土地から遺跡が出てくると「遺跡調査が必要です」ということで新築工事もストップせざるを得なくなります。そういった事情もありますので、更木に新しいヒトを呼び込むには空き家の有効活用というのが今後ますます重要になってくると思います。「更木町振興協議会」でも空き家調査は行っていて、少し手を加えれば住宅として利用できる空き家は30戸ほどあります。今後は地域の高齢化や家の担い手不足の問題がさらに進み、そうした空き家はさらに増えていくだろうと私は感じています。ですから、「更木町振興協議会」と「更木活性化協議会」で連携をさらに密にして、空き家対策は進めていかなければならないと思っています。具体的には新しい土地に住宅が建てづらいという状況のなかでは、空き家だけの活用ではなく、例えば隣に空き地のある空き家もあったりしますので、そうした空き地も有効活用して柔軟に対応していくことも大事だと思っています。
・夏まつりについては?
平野:まつりといえば更木では「更木町振興協議会」が主体となって取り組む「縄文まつり」と、「更木ふるさと興社」が開催する「新茶まつり」というものがあるのですが、それらをお手伝いする方はほぼ同じなんですよ。どちらも更木を盛りあげたいという想いは同じですし、お手伝いするメンバーも同じならということで、これを機会に更木の「夏まつり」として一緒に開催することにしました。そうすればお互いの相乗効果もあって、地域の活性化にもさらに大きく貢献できるのではないかと思うんですよね。この「夏まつり」については来年度からのスタートとなります。開催に向けては駐車場の問題などいろいろ課題もありますし、コロナの影響も気になるところですが、今年の夏はぜひ開催したいと思っています。養蚕や縄文遺跡はもちろんですが、更木には神楽などの民俗芸能もありますし、夏にはさまざまな野菜も登場します。そうした更木の魅力が詰まったまつりを開催して魅力発信もしながら、地域の活性化につなげていけたらと思っています。
・養蚕では新物質「ナトリード」(養蚕技術を活用して得られた「カイコ冬虫夏草(とうちゅうかそう)」から発見)が認知症への新たなアプローチになるとわかり、その成分の原料となる「蚕蛹」を全量買い取りする民間業者も現れるなど、改めて更木の養蚕業に注目が集まっています。
福盛田:そちらも順調に進んでいて、来年度からは「蚕蛹」の活用がさらにひろがっていくと思います。また、「蚕蛹」だけでなく繭についても更木の特産品として生かそうと、福島学院大学のみなさんのアドバイスをいただきながら進めています。繭を使った特産品ができれば、それが農閑期の仕事として地域の雇用につなげていけるかもしれません。そうやって養蚕の可能性がひろがれば、更木の養蚕文化の継承にもつながっていきますし、それが更木の魅力のひとつとして育っていってくれたらと思っています。
平野:とはいえ、今回の事業で「売れる繭の特産品」がすぐできるとも思ってはいません。そんな簡単なことではないですからね。まずはみなさんのご意見やアイデアを取り入れながら特産品をつくり、販売方法などのアドバイスもいただきながらある程度の道筋を描けたら、あとは地域のみんなでそれを育て、発展させていくことが大切だと思っています。ですから、養蚕については地域外のヒトにその魅力を知っていただくことはもちろんですが、地域のヒトたちにも養蚕に気軽にかかわっていただけるような環境をつくっていくことも大事だと思っています。
福盛田:養蚕については、蚕を育てて繭を売って生計を立てるほどの収益はあげられないという厳しい現実がありますし、夏場の作業は体力的にキツい部分もあって、なかなか養蚕農家になってくださいとは言えません。しかし、養蚕の作業は楽しい部分もたくさんあって、養蚕体験をやると子どもたちも喜んで蚕と触れ合っています。それに蚕が一生懸命繭をつくっている様子は感動しますし、そのように養蚕の魅力はたくさんあります。ですから全部でなくても、さまざまな場面で養蚕の仕事を、もちろん有償でお手伝いしてくださるサポーターといいますか、そういうヒトたちの輪をひろげていけたらと思いますね。平野会長もおっしゃったように、そのためにはいろいろなヒトたちが養蚕に気軽にかかわれる環境づくりが私も大事だと思っていますし、今後はそうした取り組みにもチカラを入れていきたいと思っています。
・最後に養蚕の思い出といえば?
福盛田:私が子どもの頃は近所に桑畑があったくらいで、近所で養蚕をやっているヒトはほとんどいなかったですね。今思えば、親戚の家で繭玉を見たことがあって、そこで養蚕をやっていたみたいですが、実際の作業を見たことはありませんでした。ですから、繭玉と養蚕も結びつかなくて、それくらい養蚕とは縁がなかったですね。
平野:更木の養蚕は昭和までですね。平成に入ると養蚕をやっている農家は本当に少なかったですから……。養蚕の思い出といえば私たちの時代は「お蚕さん」と呼んでいました。もう60年も前ですかね。私が小学校3年生ぐらいから高学年にかけて、お蚕さんのエサ取り(桑の葉の収穫)の手伝いをしていました。桑の木は大木でしたから、みんなで木にのぼって葉っぱを採るんです。大きな籠があるんですが、それをいっぱいにすると10kgほどで10円のお小遣いがもらえました。それを朝2つか3つ、夕方にも2つか3つ……。当時、アイスキャンディが1本5円ほどでした。子どもにはいい小遣い稼ぎですよね。おふくろの実家で養蚕をしていたので、そこに寝泊まりして……。当時はそれぞれの家で養蚕をやっていたので、養蚕の時季になると座敷の畳を外して板場にして、そこでお蚕さんを飼っていました。わざわざ座敷を使うわけですから、お蚕さんは本当に大事にされていたんだなと思いますね。懐かしい思い出です。そんな風に、地域のみなさんをはじめ、いろいろなヒトたちがお蚕さんと気軽にかかわっていけるといいのかなと思いますね。
(了)